メインストリームの世界観に同化できるのならしてみたいものだ

まとまらないまま。

  • 自意識に関するある種の自己規定*1を前提にしてしまうと、そこから演繹できる結論は、「自分は世界の大部分を憎まざるを得ない」というものになってしまう。それが辛かったから、世界の殆んどを憎んだまま生きたくなかったから、僕はそんな自己規定を捨てることにした。
  • 自分を(例えば)オタクであると考えるのをやめることは、「自分はオタクではない」と言明することとはたぶん異なる。だから、客観的にはオタク的と言える言動をしている人がいたとしても、その人の主観では別に自分はオタクではない、ということもありうる筈だ。
  • 「自分は○○である」という意識を捨ててなお残るものをアイデンティティというのだろうか。
  • 極論すると、自意識の砦にしがみつくか、自意識の砦から人を引きずり出そうとするか、世の中にはこの2種類の人種しか見かけない。自分の意思で昔の自意識の砦を放棄して、人に干渉するでもなく放浪したまんまの人なんてまるで見ない。変化がとてもデジタルなものだから?
  • いや、別に無理して自分の同類を見つけなくてもいいんだけどね。基本的につるむのって不得手だし。つるんだり、傷を舐め合ったり、共通の敵を一緒に叩いたり、叩くのに誘われたり、そういうのに嫌気が差して、僕は砦から引き払ったようなものだから。
  • あれ、でも僕は、もともとそんな砦にいたことがあるの?

*1:「自分は非モテである」とか「自分はオタクである」とか、そういうの。