意固地な少年期

一応昨日の続きです。
第二次性徴の到来から学生時代の終わり頃まで、ずーっと、「やれりゃOK」みたいな思想に汚染されたくないと願い続けていた。やりたいやりたいと焦る同世代の同性が、ただひたすらカッコ悪いものにしか見えなかった。だから僕は、エロ本もAVも全く見ないで過ごし続けた。オカズとして許されるのは自分の空想とある種のestablishされた文学のみ*1。(わースノッブ!) 通俗なエロ本など読んでしまったら自分も「ただやりたい」の軍門に降ってしまうことになるし、そこから発されるメッセージに、知らないうちに洗脳されてしまうかもしれない、と信じていたのだ。
反対に、少女漫画を読むこともしなかった。高校には少女漫画を読む友達が何人かいて、彼らには軽い憧れがあったけど、結局自分から読むことはしなかった。
そうしていたら、出会いのきっかけさえ作れない、そもそもそういうことが人生に必要だとも分からない、徹底的に唐変木な人間が出来上がってしまった。また、「やれりゃいい」の人にならなかった代わりに、若干の「萌え」趣味に汚染されてしまった気がする(そっち方面のガードが無防備だったせいで)。もしかしたら自分は、自分で勝手にカルトをでっちあげて自分で勝手にそれにはまっていたのかもしれない。
どうせ10代とか20代初頭なんて、どうあがいてもカッコ悪いのにね。どっちに転んでもカッコ悪いなら、せめて背伸びの練習くらいしとけば良かったのに。

*1:だったはずなのだが、「萌え」とか書いてるとこからも分かるように、後からそういう方面に感染してしまった。