警告! めちゃくちゃ痛くてウザいです!
この日初めて、失恋をきっかけに、自分は異性を口説いても良かったのだということに気づく。
信じてくれないと思うが、この日まで僕は、異性を口説くことなど、全く自分とは無関係のことだと信じ続けており(喫煙とかギャンブルとか風俗とかと同列のものと見なしていた)、自分がそういうことをするところさえ想像することがなかった。だから僕にとって、この日は私的な現代史の始まりなのである。
以下は当日のプライベートな日記の抜粋(一部修正)である。笑わば笑え。
振られ続けて諦めて鬱屈してオタクになった人の方が、僕なんかよりも、ずっと立派だ。だって、僕はそういう経験も無しに、なんとなくオタクになってしまって、そのせいで、やるべき経験を積む道さえ封じられたんだもの。
そもそも僕は、一人じゃない状態自体経験したことがないから(悲)、「ひとりのさみしさ」さえも、よく分からないんだ。
普通の男の子は、高校生までのうちに「告白→振られる」を体験して、そこからとっとと 黙ってちゃいけないことを学んで、だからこそみんな「合コン誘ってー」とか「彼女紹介してよー」とか言ってたのであって、でも僕は片想いしかしらないおこちゃまのままだったから、彼らの「切実な」事情なんて全く分からないまま、そうした行動を「軽薄だ」「はしたない」と頭でっかちに軽蔑していて、そしたら、全く成長のないまま十数年も馬齢を重ねてしまい、つい昨日、やっと、生まれて初めて振られる経験をして、そしたらそういう事情だったことに気づいて、とっても情けなくなって……。
どうやら「軽蔑」が間違った考えだったらしいことは社会人になる直前くらいに気づいてたんだけど、なぜ、どのように間違いだったのかは、今日になって初めて分かった。
振られて初めて分かった事情のかずかず。ふられて、ばんざい。
だから僕は、これからは、ようやく照れずに、良心の呵責なく(笑)、こう言えると思うのです。「ごうこんさそってー」……。「かのじょしょうかいしてよー」……。
ああああああ。もう手遅れって感じー。
あきらめましょう あきらめましょう なんたらかんたら ぱっぱっぱらっぱー。(そうかこれは失恋者を励ます歌だったのかも)
25を過ぎたいい大人は、いきなり「好きですっ!」とかいう告白なんてせず、もっと気のきいた行動をとるとは思うんだけど、でもそんなやりかたなんて平気で知らないから、思いっきりド直球を投げてしまったのでした。どうやら、そこから始めるしかないようだったから、ね。
せめて、年相応の「人生経験」が欲しいです。
これまで根拠もなく遠ざけていた世界に、踏み込まなくっちゃ。
「世間一般における恋愛観念への違和感」てなことを僕は思ってたけど、もしかしたらそれなりの理由があって、世間はそういう観念になってるのかもしれない。きちんと経験を積んでその辺も見極めたいです。
「こんどお食事に行きませんか?」本当にこの俺がそんな台詞を言うのか。しかも素で! 想像つかなーい。でも、でも、それが通常の入口らしいのよ。どうしましょ。
恋心<自分の殻に閉じ籠っていたい → 片想い なのかな。
止まっていた、時間。再び動き出すといいね。
これでようやく、色の道のスタートラインに立てたのです。この春上京してきた一年生の諸君と同じところに立てたのです。
しかし今回の件での最大の問題は、僕が、血の通った実在の女性を、五年以上にわたって、勝手に「脳内彼女」にしていたことかもしれない。実在の人物というよりはむしろ、実在の人物が吐き出す文字をもとに勝手に構成される妄想の束。しかしそれは本人にとっては侮辱といえるであろう。ていうか俺は、やっぱり現実と妄想を混同していた変質者だったんだ……!!
なんでわざわざこんなことを公開するのかとも思います。でも、いろんな意味で自分に正直にならないといけないと思ったのでぶちまけてしまいます。これを参考にする人だって、もしかしたらいるかもしれないし。
あーあ。彼女ができること自体については昔からやぶさかではないはずだったのに。そのために必要な行動を無駄に軽蔑しちゃったせいでさ。
で、この日から大して進歩してないような気がする自分(2003-12-20現在)。この日の日記と同じ考えをひたすらループしてるまま。出会いの機会に乏しい職場だしなあ。でもこれはいいわけらしいしなあ。どうしましょ。