やっぱりネジが締まりすぎている

実家の近所を散歩すると、子供の頃の自分を思い出さずにはいられない。しかしそこで、自分は幼い頃から、「そういうことをやるのは違法だからやりたくない」という「子供らしくない」理由で、友達といっしょに悪い遊びをすることを拒否することが時々あったことを思い出してしまった。
また、「自分は親孝行をせねば」という意識から、毎年盆と正月にはきちんと帰省するように心がけているのだけれども、ついに親から「わざわざ毎回律儀に帰ってこなくてもいいんだよ」と言われてしまった。
つまり、僕は子供の頃から、遵法意識というものが気持ち悪いほど高く、そしてその傾向は今でも変わっていないということだ。
強すぎる遵法意識が内側に向かうと、例えば「異性をデートに誘うのはいけないことだ」みたいな、中学生のための方便(偽の規範)をすっかり内面化してしまい、しかもあとから「もうそんな規則は守らなくてもいいんだよ」と言われなかったという理由だけで、社会人になってまで後生大事に抱え込んでしまう。また、強すぎる遵法意識が外側に向かうと、秩序(と自分が見なしているもの)を乱すような行為をいちいち目くじら立てて咎め、場合によっては筋道立った議論をすっ飛ばしてブチ切れ、ただ口汚く喚き散らすことさえ起こすし(実例はg:beta:id:anotherにあるかな)、そのたびに僕は自己嫌悪に陥ることになる。
ネジの締まり具合を適切なトルクにまで緩めていかないと。でも、どうやって?