自分がゴネ得をするくらいなら損をした方がましだ、という価値観について

昨日の一言では済まなかったようなので、あらかじめ済まなかったと謝っておく。
当初より住所登録反対を叫んでいた者たちが結果として「ゴネ得」となり、反対してきた人の全部とは言わないけれども少なからぬ部分が、それによって増長するのを目の当たりにするのは、僕も愉快ではない。しかしだからと言って、結果として「ゴネ得」を許してしまったはてなの決定を詰るような一部の論調にもなじめない。それはまるで、単に攻守がところを変えただけではないのか、とさえ思う。
僕の率直な感想は、ゴネた人がゴネたことによって得をした(らしい)こと自体は割とどうでもよく、むしろ、ゴネて得をした人の集団に自分が入ってしまうことがなかったことに安堵している、というものだ。言い換えると、僕にとっての住所登録とは、自分が「ゴネ得を得る卑しい集団」の一員になってしまわないための保険であった。自分がゴネ得なんてものをしてしまうことになるのならば、むしろ進んで住所くらい供出してやるぜ、というか。しかしこれとて、価値判断の基準が大多数と比べて異様なだけで、打算的かつ保身的な行動であることに変わりはない。
住所登録とは少し違った話になってしまった。