超体制的だった中学時代

僕は中学生のころ、超体制的な生徒だった。

あの「中学校の校則」を遵守し続けることに何の疑問も持たず、わざわざズボンを太くしたり鞄を薄くしたりしようとするヤンキーのクラスメイトの気持ちが、全く完璧に理解できなかった。のみならず、例えば「なんでおまえらは私語をするんだぁ!!」というようなことでクラスメイト全員に対して週に一度は本気でキレるという始末におえない生徒だった。なまじ勉強ができたせいで、あの体制に不満を持つ契機が持てなかったのだろう。

誤解して欲しくないのだが、僕は決して教師に気に入られたいというようなゲスな根性でそうしていたんじゃない。担任が目の前にいようといまいと、僕は同じような調子でキレまくっていた。気に入られようとしてるなら教師の前でキレたりなんかしませんよ。

当時の僕にとって、学校体制に反抗することは、反抗してしまう者の精神の弱さをしか意味しなかった。自分ですき好んで檻の中に閉じ籠って、「俺は檻の中でも不満を感じないから、不満ばかり垂らす同僚よりも根性があって偉い」と周りを見下して喜んでいたのかもしれない。

でも、もしかしたら、単に怒られることに異常に臆病だっただけなのかもしれない。まともに教師から「指導」を食らったことがないから、「指導」の定量評価というかコスト計算というものができない、だから極端な遵守に走る、というわけだ。

しかしその辺はどうであれ、今考えて最も恐ろしいのは、教師の誰も、こんな僕をおかしいと言ってくれなかったことだ。「おまえは若いのに考え方が硬直し過ぎている」などと注意してくれる先生はついぞ現れなかった。むしろ教師らにとって、自分たちに代わって些細なことでキレまくってくれる僕は、あまりに都合の良すぎる存在でしかなかったってこと。でも、思いっきり手遅れだと分かりつつ言うけど、そんなのって、教育じゃないやい!

だから僕は高校1年の終り頃になってやっと、少しだけ、自分が変だと気づくことができた。そうしてやっと、例えば修学旅行で就寝時刻を過ぎても友達と遊び続けることができるようになった。(笑うな! ネタで言ってるんじゃないぞ!)しかもこれは高校が放任主義のところだったから気づけたことだ。普通にガチガチの高校に行って、そういう問題に気づかないまま大学生になっていたら……。想像するだけで悪寒が走る。

しかしそれでも、「檻の中にいる俺は根性があって偉い」のような発想法を完全に*1振り切るには、さらに10年以上の歳月が必要なのであった……。

*1:でもどうだろ。今もって完全かどうかもあやしいものだ。