帰省とリア充

だいぶ前にも同じことを話した気がするけど。
僕は、上京してからかなり長いこと、毎年の夏休みの全期間を帰省に充てていた。
まず、「学生の本分とは勉強であり、夏休みといえども遊びにうつつを抜かしたりするものではない」みたいな「建前論」を大真面目に信じていた。また、遊ぶ金を作る目的で金を稼いだりすることも、自分の中では「してはいけないこと」だった。この辺の詳細は、d:id:another:20070418:1176901360を参照のこと。それに加えて、「親孝行しなければ」という強迫観念もあった。親は年がいっていて、しかも自分は一人っ子だ。夏休みは是非帰省してあげなければ。そんなわけで、「他に断る強い理由が自分の中に見つけられない」という実に消極的な理由で、ほとんど仕方なく、夏休みの一ヶ月を帰省に費す毎年だった。「今年の夏は旅行したい!」とか、そういう欲求も、ほとんど無意識レベルで抑制してしまっていた。
自分があまりに自縄自縛になっている、なにも毎年夏休みの全部を実家で過ごす必要はない、ということにようやく気づけたのは、たったの数年前、しかも社会人になってからのことである*1。今年僕は帰省を二泊三日に切り詰めて*2喜んだりしてるんだけど、これは、長年のうちに身についてしまった、あまりに窮屈な帰省観への反動というか後悔からまだ自由になれていないせいだと思う。
まとめると、僕にとって帰省とは、夏休みのうちに経験できたはずの他のことども*3を全て犠牲にして、物好きにも実家に自ら幽閉されるという、流行りの言葉を使えば、極めて「リア充に反した」行為だったし、未だにその名残りを後悔という形で引きずっている。それなのに、Twitterの某所で行われていたという大喜利を見ると、「帰省して実家の飯を食うのはリア充」とさえ言われかねない情勢のようなので、なんだかなあ、と思ったのだった(笑)。

*1:ちなみに社会人になってからは、上述の「学生の本分とは〜」の部分は「自分が奨学金を完済するまでは〜」に置き換わっていた。

*2:ええ。おとといから今日まで帰省してました。

*3:例えば、学友と一緒に海へ行くとか。しょうもないけど。でも実家に帰らなかったとしても、結局寮にこもって夏休みはおしまいだったのではないか、という疑念は強く残る。