「自分の持ちタグ」という発想がよく分からない

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20061113%231163410906
のコメントを見て、少なからぬ人が「自分のタグから面白いものを放出」のようなことを言っているのが気になった。というか、そもそもタグとは、各個人の持ち物なのだろうか?

「ソーシャル」ブックマークシステムでは、「自分の持ちタグ」なるものは原理上持ちようがない

b:t:これはひどい」とか「b:t:これはすごい」のようなタグが誰か特定の個人のものだとは恐らく誰も思わないだろう。しかし「b:t:いわゆってる」とか「b:t:カリカリモフモフ」みたいなのはどうだろうか。こういうタグだと、利用者自身も自分専用のものであると錯覚してしまうかもしれない。しかし僕に言わせれば、それは継続して使っているのがたまたま特定の人物だけであるに過ぎないと思う。だから僕は自分以外の人が「b:t:いわゆってる」を使うことをむしろ歓迎するし(えらそー)、逆に、人様が使ってて魅力的なタグを拝借することだってしばしばある(例:「b:t:世界の騙り直し」)。

ソーシャルな系の中の「自分のブックマークの集合」だけを秩序立てることについて

自分のつけたブックマークの集合のなかだけでタグが秩序立っていることの意義を、僕はあまり感じない。重要なのは、はてなブックマークというシステムの総体のなかでそれぞれのタグが持つ意味なのであって、それぞれの個人が内的な秩序を持ち込んでも、それはあくまで自分にしか役に立たないのだし、極論すると、それなら別にプライベートモードでもいいんじゃないだろうか(まさにそういう理由でプライベートモードにしている人はいるかもしれない)。
また、マイ秩序構築のために普通ではない語形のタグを作っている人も散見される(「01.ライトノベル」みたいなやつ)し、そうしている人は実際にそのようなタグが役に立っているのだろうけれども、はてなブックマークは完全にストックではなくフローであると割り切ってしまっている僕などは、そういうのは単に「b:t:ライトノベル」にしちゃって、集団知の海の中に取り込まれた方が面白いんじゃないかとさえ思ってしまう。ただしこれは、単に僕が自分のタグを管理する能力がないのを正当化しているだけかもしれないので注意が必要な意見ではある。