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非モテ議論の本質。他の人はみなこの切断操作を当然の正義だと思っているから話題にすらならないんじゃないだろうか。

自分の経験に照らして申し上げるのですが、「切断操作」が完全に機能している人ならば、非モテ論議がいくら為されていようとも、「ふ、なにか浅ましい愚民どもが何かサカってほざいているな」としか認識できないのだと思います。むしろ「切断操作」の不備を感じたからこそ、人は率先して「非モテ論議」に参加するのではないでしょうか。 例えば僕の場合、そんな「切断操作」を13歳から27歳まで当然の真理と見なしていたせいで、たとえ好きな人が出来ても、そのたびに何年も片思いを続けるだけ、ということを、長年にわたって繰り返しておりました。好きだから思いを伝えたい、でも「求愛行動」をすると自分がDQNに堕ちてしまう。そんな、今にして思うとあまりに下らない板挟みに、ずーっと苦しんでいたのです。で、あるとき切断操作の呪縛が解けたおかげで、はじめて、自分が実は十数年にわたって「非モテ」だったのだ、と気づけたのです。もっとも、単に僕が臆病なだけだったのかもしれませんが。