優等生的な、あまりに優等生的な

Inspired by 一昨日から昨日にかけてのはてなのあちこち。10代からつい一昨年くらいまでの自分について。朝からこんな話ですいません。

  • 「僕は人にパシらされるのも勿論嫌いだけど、人をパシらせるのも大嫌いだ」という主張を素でして引かれるようなタイプだった。実際にも、あまりに学校体制にべったりだったせいで(「体制の犬」と言っても過言ではなかった)、そういう支配/被支配の構造に組み入れられなかった。
  • だから、所謂スクールカーストの底辺にいたという自覚はなかった。マイノリティの中でさえマジョリティになれない自分。でも、自覚がなかっただけで実は底辺組だったのかもしれないが。
  • 社会がいわゆる男性性(乱暴かつ極端に要約すると「女は生殖(あるいは快楽)の道具に過ぎない」みたいな考え方)をどうしても僕に押しつけてくるのならば、僕は男を捨ててやる、自ら去勢してやる、と思い詰めていた。
  • 「親には孝行しなければならない」というドグマに従って、親を喜ばせるためだけに、自分の楽しみを犠牲にして、毎年夏の1ヶ月間、自分を実家に幽閉し続けてきた。そのせいで得損ねた経験値はあまりに大きすぎると推定される。
  • 以上のような優等生的価値観が、社会人になって数年経っても、なおいささかも揺らぐことがなかったので自分でも呆れてしまう。自分で勝手に自分のためのカルトを作って、自分を勝手に洗脳してはまっていたような感じ。
  • (21:35追記) 自分カルトによる認知障害の例: 夜遊びというものをしている人たちが何のためにそんなことをしているのかを長いこと理解できず、27歳になってからようやく「ああ、そうか、セックスにありつくためなのか」と気がついて膝を叩いた。