もう少しダラダラととりとめのない自分語りを続けてみる

僕が芸能界の話を拒絶するようになった経緯についての補足

そういえば、中1のときくらいに自分でガリ勉キャラを作ってそこに閉じこもってしまい、自分でそこから抜け出せなくなってしまったことを思い出した。最初は、周りのテレビの話題が分かっても知らないふりをするむっつりスケベに過ぎなかったはずなのに、いつのまにやら、本当に芸能方面のことが分からなくなり、あまつさえそれが偉いとする中二病状態が固定してしまったのだった。

読書遍歴

親が本好きだった(経済小説とか池波正太郎とかですが)ことも手伝って、僕は小6あたりからブッキッシュ路線に走った。ちなみに僕が初めて読んだ単行本は、椎名誠の『かつをぶしの時代なのだ』だった。これは小学生でも笑えるようなくすぐりが随所に仕込んであったので非常に楽しめた。ああ、それ以前にも、母が購読していた「暮しの手帖」を熟読していた気もするが、あくまでそれは雑誌ということで。そしてこの初体験が、「とにかくネタっぽく、かつ小説でないもの」という僕の読書傾向をかなり決定した。SFにもミステリにも進まなかったのは、小説っぽいものが読めなかったからである。
そしてそのまま、同級生の動向とは全く関係なく、自分の興味だけで図書館や古本屋の本を漁りまくるティーンエイジにつながっていくのであった。自分の趣味を他の人に共有させようという発想は全然なかった。ちなみに、中学の頃の僕の背伸びアイテムは、椎名誠とその一派、山口瞳南伸坊天野祐吉あたり。糸井重里にはまったのは高校になってからだったかな。

オタクの友人に恵まれていたこと

自慢話になってしまうことを覚悟の上で。
中学から高校にかけて、自分はいわゆる「濃ゆい」友人知人に不自由しなかった。ものすごい凝った設定のD&Dのキャンペーンゲームを作って、僕とかを半ば脅迫してプレイにつきあわせたダンジョンマスターとか、ラジオ番組への投稿が高じて、いつのまにか運営サイドに交じっちゃった人とか。そんなわけで、「なんであれ、珍しいものほど価値がある」という原則を無条件に信じていた自分は、メジャーなオタクの各ジャンルについては君たちに任せた、僕はもっと変なところに注目していくよ、という態度を取るようになっていた。同化でも拒絶でもなく、自分はほかの事をするから好きにやってて、という感じ。
だから、一般にオタクと呼ばれている人々は同類に飢えた状態で高校までを過ごし、大学のサークルとかでようやく同好の士と知り合えて感激するというパターンの方が普通である、ということを大学に入ってから知ったときには、結構驚いたものだった。むしろ僕は、大学になってからの方が周りが薄まってつまんなくなった、とさえ感じていたので(ああ、石が飛んできそうだ)。でも、無理もないよね。大学のときのクラスメイト一般は、辛かった受験生時代を経て、ようやく羽根を伸ばして異性獲得に励もうとしていたんだからね。そこを分かってあげるべきだった。