僕がアニメとかを受けつけなかった理由、その他

id:yskszkさんがヒギンズ・シンドロームを発揮して(笑)、いつのまにかid:churchillさんと僕とを比較されていたので、若干の補足とそれ以上の自分語りを。
僕がアニメをやらなかったのは商業主義云々とは少し異なる。自分が小5のとき、小6の分際で「ファンロード」とか「アウト」とかを愛読していた濃ゆい人(笑)がいて、そのへんの雑誌を見せてもらったことがあったのだが、「なにこの内輪受けの激しさは!? 全国に仲間が100万人いようとも、内輪受けは内輪受けだ。だめだめ」と感じて、そのせいで、アニメとかの世界には入らなかったと記憶している。その人がもう少し薄いオタクだったら、あるいはそっちの世界に入ったのかもしれない。
ところでその濃ゆい人については、「きまぐれオレンジロード」とか「くおん……」とかに独特の執着を見せていたのが印象深かった。今にして思えば、それこそがオタク的感性とのファーストコンタクトだったのだが、しかしその感性は当時の僕の理解の外側にあった。つまり僕はいちどここでディープなオタクではなく、ファミコンや少年ジャンプと戯れる普通の男の子を選択した、はずなのだが……。全然普通を踏み外しちゃったのよね。いや違う、この時点で元から踏み外していたか。
踏み外していたというのは、小学生の頃から運動が苦手なので図書室にこもっていた。なまじ文字の読める子供だったので、百科事典的知識あるいは雑学をつけることに、9つかそこらの分際で楽しさを見出してしまっていた。でもあの(小学生の)頃はまだ「不易は常に流行より偉い!」なんて言わなかったと思う。流行歌も追いかけてたし、テレビドラマとかも抵抗なく視聴できてたし。そのあたりを無視→敵視するようになったのは中学以降の話だ。なんでその後極端な考えに走っちゃったかなあ。思いつく理由は:

  • 不易な情報だけで十分に楽しかったので、それ以上のものを求めなくなってしまった
  • 「ミーハーは軽蔑すべきものである」という命題が勝手にドグマ化してしまった
    • 中1くらいのとき、同級生のミーハーさとドキュンさの相関関係らしきものから勝手に納得してしまった
  • 中1の頃から読み始めた、流行を拒絶する雑誌「パズル通信ニコリ」の薫陶(笑)

ところで、オタクを「子供のときの趣味を大人になっても続けている者」と定義するならば、大人になっても子供の頃と同様にひたすら百科事典的な知識とか雑学とかを追い求めている自分はオタクであると言わざるを得ない。
あー、あと、高校2年くらいまで僕がジャンプを棄てなかったのはなんでだろ。ジャンプはきちんとコミュニケーションツールとして使ってたよなぁ。「ジャンプでつながるコミュニティへの反発とか嫌悪」とか言い出さなかったのはこれまた変といえば変かも(笑)。

とりとめのないお話はひとまずここまで。天気が良いので散歩に出ます。