対人能力の道場としての美容院

僕は学生時代の間ずーっと研究室や図書館に閉じこもって生活していたので、今や男子は当たり前に美容院に行くものなのだという事実を社会人になって初めて知ったときには大いにショックを受けたものだ。しかしそれでもなお「美容院に行く男は軟派(=当時の僕にとっては最も軽蔑すべきもの)」という硬直した観念を捨て去るには更に3年ほどの時間がかかり、定常的に美容院を利用し始めるようになったのはようやく去年の8月からのことだ。
前置きはこのくらいにして、おととい美容院に予約してから行ったときの話。
僕が行きつけている店では、予約するときに「どなたかご指名はおありですか?」と聞いてくるのだが、これが難物なのだ。既に何回も通っているのに「どなたでもいいです」とは言いづらい。しかし誰かの名前を告げようにも僕は店員の名前を全然知らない。店員の胸に名札がついているでもないし、「今回はわたくし田中が担当いたしました」と言ってくれるでもない。だから結局不本意ながら「どなたでもいいです」と答えざるを得ない。しかしそうすると電話の向こうの人は「はじめてですか?」などと容赦のない追い打ちをかけてくる。つまり敢えてうがった見かたをすると、この店は店員の名前を聞き出す能力を暗に客に要求しているのである。そんな配慮の足りない店なんてやめなさい、というのも一つの解だが、ここはこの店が僕に与えた試練を乗り越える努力をしてみたい。そんなわけで、今回こそ僕の髪を切った店員のお姉さんの名前を聞き出してやろうと思ったのだが、結局例によって聞き出せずじまいのままなのだった。まだまだ僕は修行が足りないと思った。
あと、待ち時間のあいだ、手持ちぶさただからヘアカタログを眺めてたんだけど、「ねえ、あたしきれいでしょ、見て見て」という顔が何十も何百も並んでいる女性向けヘアカタログって、見てるだけでどぎまぎですね。でも、これしきのことでどぎまぎするのも克服せねばと思った。