自己規定

2-3年くらい前の日記を自分で読み返して気づいたのだが、当時の僕は、比較的強い自覚をもって、自分をオタクと位置づけていたらしいのだ。しかし現在の僕は、つね日頃「自分はオタクなんだ、一般人とは違うんだ」みたいなことをあまり考え詰めなくなっている。
いわゆるオタク的趣味とされているものについては今も昔も大して深くコミットしていない/いなかったし(ただし全くコミットしていないとは言い切れない)、それゆえ自分は狭義のオタクというものにはあまり当てはまらない/当てはまらなかったのだと思うけど、特定の趣味の有無ではなくある種の精神的構造を有する者をオタクと呼ぶのだ、という風にオタクの定義をずっと広く取ったとして、いまここで「おまえはオタクか、オタクじゃないのか、どっちなんだ、はっきりしろ!」と詰問されたならば、きっと「オ、オ、オタクです」と答えるのだと思う。なにしろ、「狭義のオタクの人たち」に漠然とした親近感を覚えていた時代もあったのだし(今はそれほどでもない)。
では、なぜ自分を意識的にオタクと考えることをあまりしなくなったのか? そんな自己規定をするとろくなことがないという結論になってしまったからだ。普段から「どうせ自分はオタクだから……」などと考えているようでは、自分の行動に不必要に制約がかかりすぎてしまうような気がしたからだ。自分をオタクと考えるせいで不自由になってしまうのなら、そんなことは考えなければいいではないか。いや待てよ。この例だと「オタク」ではなく「どうせ」が悪いのか。例がまずかったかな。