朝起きたら有名人に(違)
あわわ。加野瀬さんに祭られた! アクセス数がやばい! と動揺しつつ、読んで考えたことについて書き連ねてみます。
- 実は僕には、典型的なオタクの思考パターンとされるものがよく分からない。特に「妹萌え」が理解できない。「妹→親族だから御しやすい」? なにそれ? 君たちは異性を御すること自体を諦めたんじゃなかったの??
- 「(異性と)知り合って仲良くなる過程」を習得することについて、現代日本には、恐ろしいほどの機会の不平等が存在している。家庭環境やら交友関係やら性格やらの要因で。「過程」を習得する機会に恵まれなかった者は半ば自動的にオタクになり、そのうち「過程」が不可避であることさえ知らぬまま、「魂の童貞」(すごい表現だなあ)に留まったままになってしまう。という仮説。
- 「異性を口説いたら誰に対して負けるのか」は深く考えてなかったけど、なるほど、確かに同性の友達かも。小学生くらいだと、異性と何かやってたら即座にさんざん囃されまくられるじゃないですか。でも、僕の場合、「過程」に触れる機会がなかったから、囃されへの怖れがその後も自分の中でついて回ってしまって、高校生になってさえ、異性と何かしたら囃されるような気が漠然としていた。そんな幼稚なことをする奴なんてもういなかったのに。
- モーヲタの人たちは、我々がやるように(笑)、キモい悩みを表明することが非常に少ないんじゃないか。印象論に過ぎないけど。彼らのサイトを覗くと、極めてマターリとしたヲタ話に特化しており、うざい自分語りが顔を出すことは極めて少ないようだ。これがいわゆる動物化というやつか?
- 「いろいろ考えてしまう頭があるが故の弊害」は自分に当てはまるけど、「自分は人畜無害」「根拠ない自信を持っているドキュンに対してオタクは恨みを持っている」は違うなあ。 むしろ自分の方が根拠のない自信に満ち満ちていたと思うし、奇行も多かったし。
- モテ至上主義については、先日atsushifxさんがこんな意見を下さっている。オタクの罠に陥らなかったと思しき人の参考意見ということで紹介。
モテ至上主義は実在するといえば実在しますし、実在しないといえば実在しません。恋愛というのが性という本能的なものに根ざしている以上、それがビジネスとなるのは至極当然な話です。同時に、恋愛は相手を選択するという部分があります、モテるということは自分が相手を選択できるという意味で強者であり勝者です。恋愛というバトルにおいて勝ちたいと思う気持ちがあるならば、モテ至上主義は実在するんです。