世間に背を向け続けた報い

ひとつ上の記事の続き。
いや、正直、テレビドラマとか映画とか流行歌とか、いわゆる芸能界一般の歴史データベースが脳内に搭載されているかどうかはあまり重要なことではなく、会話能力こそが最優先の課題らしいのは、いかにボンクラな僕でも了解している、というか、了解しつつある。
しかしそうだとはいえ、今後一生、折に触れて「そういえば東京ラブストーリーで、カンチが……」みたいな調子でふらりと昔の芸能関連の懐かし話が出てきたときに、全然話に入れないせいでいちいちトラウマが痛むのかと思うと、ぞっとするじゃあないですか。
もっとも、どうしても話についていけないのがいやなら、DVDとかで(どうせあるんでしょ?)勉強すればいいのだろうけど、またここでも優等生的行動パターンを繰り返すの? それはちょっと違うんじゃない?
昔の僕ならば、ここで「こいつら下らない話してやがる、けっ」と軽蔑することでトラウマを回避していたものだ。やなやつー。
いやそもそも、そんな程度のことでいちいち傷つくな、ってことなんだろうな。もっと心を強くしないと。


そういえば、昔の僕は、中学以来、「異性の気を惹こうなんて軟弱なことを考える奴は友達にはしない!」という歪んだ制約を自分に課していた。だから、いかにもデートの小道具に使われそうな話題、特に芸能関連の話題は、全て敵視することが僕のアイデンティティだった。
しかし、その基準では、世間の90%以上が「軽蔑すべき軟派」に分類されてしまうこと、そして、残りの数%の、それまでは「自分の側の信頼すべき人間」と思っていた方こそが、世間では「社会不適合」とか「オタク」とかと呼ばれていることに、ものすごく遅れてから、あるときはたと気づいてしまったのだった。
そんな。自分は、オタクとだけ選択的に仲良くするつもりなんて、微塵もなかったのに……!
ここで「正義は数ではない!」と居直れば一人のオタクが完成していたのだろうが、自縄自縛のせいで窒息寸前になっていた僕は、今までより数十倍広い世界の方を選ぶことにしたのだった。