荷宮和子『声に出して読めないネット掲示版』(isbn:4121501144)

2ちゃんねる論に見せかけた「素朴な反戦主義」の信仰告白。困惑。だまされた、とさえ感じた。

戦後民主主義*1の憤りの声は、しかしやはり僕らを動かせず、互いにもどかしさのみが残るばかりの残念な読後感。この本を手に取るであろう読者のかなりの部分と前提が違っていることについて、著者の自覚は甘いとしか言いようがない。

著者の言う「素朴な反戦主義」がここ10年くらいで嘘のように退潮してしまったのは、それが全面的に「あの戦争」の経験のみに支えられていたからだと僕は考える。今のままの(あるいは過去のものになりつつある?)「素朴な反戦主義」は、信奉者の意に反して、「あの戦争」を直接経験した者、また、せいぜいが経験者を家族に持った者のみが共有する感情の上にしか乗らない。その感情を持ちえない子孫の代にまで同じような考え方をさせるためには、戦争がとにかく悲惨だったことを声を大にして語るのでは全然駄目で、自分が立っている前提をいちいちロジックに分解して解説していくしかないと思う。この著者が「あまりに当たり前」と考えているであろう諸前提(「戦争は人として無条件に嫌悪すべきものだ」とか)はいちいち理屈立てて説明されなければならず、しかしそれは決して嘆かわしいことではなく、むしろ「素朴な反戦主義」が本物の思想として立つためには絶対に必要だったはずの作業だからだ(そうなってはもはや「素朴」とは呼べないかもしれないが)。そうした作業を戦争体験者が必要だと考えなかったがゆえに、現在の日本は「殺伐に戻ってしまった」のではないだろうか?

今からでも遅くはない。「素朴な反戦主義」を奉じる者は、自らがよって立つ前提をロジックで鍛え上げよ! さもなくば僕らは説得できない(説得されてやらない)!

あと、もう一つ思ったこと。レイプとかDVを平然と肯定する/しそうな男どもを(つきあってやらない、結婚してやらない、子どもを産んでやらない、等々という形で)淘汰することは、現代日本の女性の崇高な任務であって、現に彼女らはそれを実行し、遅々たる歩みではあるが、それなりの成果を上げつつある、というのは、あまりに楽観的な見解であろうか?

*1:1963年生まれにしてはあまりにベタすぎると思う。